強き男たち

やべきょうすけという男

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10代はひどかった!
自分のことをとんでもなく悪いやつだと思ってましたけど、この業界に入って色々な話を聞くようになってからは、僕はまだ“わんぱく”くらいで済んでたんだな、と思いますね(笑)。僕らの時代は、部活とかもそうですけど、縦のつながりがすごい厳しかったんですよ。特に僕の場合の先輩は、読んで字の如く『先にいる輩』って人たちでしたけど、「男とは」みたいなところを語る人がすごく多くて、それが今の自分にとってはすごく大事なものになってるんですよね。男女差別とは別で、男としてとか女性としてとかそういう部分で、簡単に言えば、レディーファーストみたいなことですかね。女性に対しての男の優しさだとか、強さだとか、こうある方がかっこいいじゃんってことをたくさん教わったんですよね。

挨拶しないと先輩に怒られるって意識から、それが自然と当たり前になったりとか、敬語ってちゃんと教わった覚えがないんですけど、それも先輩と接することによってそういうのを自然に覚えたりとかしたんです。だから、17歳という年齢でこの世界に入って、ある意味周りよりも早く社会ってものに入った割には、そういうことをちゃんとできてたのは“わんぱく”時代のおかげかなっていうのはすごく思ってますね。身内や両親、学校の先生含めて、大変ご迷惑をおかけしましたけども、今こうしてお天道様の下でちゃんと仕事をして飯が食えてるっていう環境は、自分で作ったってよりもそういう周りの支えがあったからだと強く感じてます。

俳優やべきょうすけの誕生

僕もラジオっ子だったんですよ。

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僕が中学の頃ってラジオが流行ってて、僕もラジオっ子だったんですよ。すっごい面白くて、MCとかやりたいと思って放送部に入ってたんですよね。割と学校では面白い人って言われてて、体育祭でも競技には参加しないで、放送部として『紋付き袴』で司会やったりして、みんながきょとんとするようなことやったりして(笑)。生徒と父兄がやる綱引きの時とかも、普通に『これより綱引きを行います、よーいパン』じゃ、全然面白くないと思って、『本日はお忙しい中、お父さん方体育祭にご参加いただきありがとうございます。日頃は忙しくて子供たちの成長をなかなか見ることが出来ないかと思いますが、今日はこの綱に力を込めて、子供たちがどれだけ成長したかということを感じていただきたいと思います。いいか息子たち、日頃お父さんたちに言いたいことも言えないだろう。反抗期を迎え、思春期を迎え、本当は何か言いたい。今日はこの綱に力を込めて、お父さんたちに伝えてやってください!それでは1本目!』みたいな語りを入れて、お父さんたちが勝てば『どうだ、息子たち。これが父親の貫録だ』と、生徒たちが勝つと『お父さん!息子たちはこんなに成長しました!』みたいなことをやってました(笑)。ありがたいことにそれを許してくれる学校だったこともあって、あの子おもろいわ~って言われてたんですよね。

年齢関係なく一緒にものを学ぶ

そんな感じで3年になって高校受験て時に、私立の滑り止めに全部落ちちゃって、もう本命公立1本しかないってなった時に、学年中の先生がこぞって集まってきて『やべ、どうする?!』ってなったんですよね。『どうするも何も、いけるっしょ』って僕は思ってましたけど、その中の先生が、何を思ったか“吉本NSC”の願書をもってきたんですよ(笑)、『どうだ』って。どうだってどういうこと?って感じでしたよね(笑)。この時に初めて、この業界に興味を持ちましたね。
結局は、無事に公立に受かって入学したんです。でも、そういう世界もあるのかって気になって、夏休みに芸能系の夏期講習とか体験入学とかに色々行ってみたんですよ。まったくの無知で行ったんで、赤っ恥かくこともたくさんありました。動きやすい格好でと言われたから、龍の刺繍が入ったダボダボのボンタンジャージで行ったら周りがみんなレオタード着てて、パンチパーマみたいなちんちくりんな僕を『えー!この子なにー?!』って目で見られたり、こっちとしては『なに?オカマばっかり?!』って思って、ここは入ってはいけないって思ったり(笑)漢字テストとかあって、学校の勉強もまともに受けてこなかった僕の前に見たこともない漢字や文法が並ぶんですよ。こういう世界には、漢字や数字なんて必要ないと思ってたけど違うんだな、って思いましたね。でもなんか、刺激的だったんですよ。それまで先輩とばっかり一緒にいたけど、年齢関係なく一緒にものを学ぶってことが。若い人もいれば、割と年配の人も同じ空間でやるっていうことが新鮮だったんですよね。
夏休みが明けたら、先生に呼ばれて『お前、2年になれないぞ』って言われたんですよ。学校には行ってたけど、停学の数が多すぎて出席日数が足りなくなっちゃったんですよね(笑)。それで、どうしようってなった時に、『自分にはこっちの道があってるのかな』と思って、退学を決意して、片っ端から受けたんです。それで“丹波道場”と出会ったわけです。

丹波道場へ

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一番最初に受かったところに行こうっていうのは決めてて、最初に合格通知をもらったのが“丹波道場”だったんですよ。僕らの時の最終面接は、もう亡くなられましたけど、僕らがボスと呼んでる師匠の丹波哲郎さんだったんですよね。面接の最後にボスからの質問の時間があったんですけど、ボスがずーっと僕のこと睨んでるんですよ。『おっさん怖ぇな~』って思ってたら、突然『お前はヤンキーか?』って聞かれたんです。その時の僕は感覚が違うから、明日は面接だからと思って、ビシッとパンチパーマを決めてるわけですよ(笑)。『違います。』と答えたら『ヤンキーだろ?』と、『いや違います』『じゃあ何だ、不良かお前。』『不良じゃないっす。』『じゃあ何だ?!』とやり取りがあって、僕は『ツッパリです』と答えたんです。そしたらボスが『んー?!どういうことだ、それは。何が違うんだ』と聞いてきたから『ヤンキーっていうのは、チャラチャラして、コンビニとかに屯って、食ったものそのままポイポイ捨てるようなやつで、チャラいやつっす。不良は、大人とか世間とか親とかに文句あったりしても言えない鬱憤をうるせぇこのやろうって発散してるやつです。』と答えたら『で、そのお前のツッパリってなんだ。』って聞かれて『それはもう、己の意思を貫き通すんです。』そしたら『それじゃ単なる自分勝手だろ』って速攻で突っ込まれて(笑)。そのツッコミの速さに、この人なかなかキレるなって思いましたね。その後は『自分勝手だろ』『いや、そんなことないです』『じゃあ、お前はこの芸能界に入って、まじめにやる気あんの?』って『いや、真面目っていうのがどういうのかわからないんで…』『じゃあ、ツッパリ通せるのか?俺はこうあるんだと、やれんのか』『その自信はあります!』ってやり取りがあって、その時『おお、そうか、わかった。合格!』って言われたんですよ。僕も含めて、周りのスタッフも『えぇ?!?!』ってなりましたよね(笑)。後から聞いたら、どうしてこの業界に入ろうと思ったのかという質問に、昔から演じることが好きでとか、なんか面接用の言葉を並べる人が多い中、不良とヤンキーとツッパリは違うんだなんて言ってもわからないような人に、僕みたいに素直に答えるやつなんか初めてだし、違うもんは違うというのがお前のツッパリなんだな、それが個性だって言ってくれてたみたいなんですよね。

でも、本当に僕が丹波道場に決めた最終的なきっかけは、面接が終わって部屋から出ようとした時に『おい、やべ』って呼ばれて、振り返ったら『お前名前なんて言うんだ』って聞かれたんで『え、きょうすけですけど』って答えたんですよ。そしたら『ばかもん、人から名前聞かれたら苗字を答えろ!』って言うんですよ。『だって今、やべって呼んだじゃないっすか』って普通にツッコミましたよね(笑)。そしたら『ふふふふん』ってなんか照れ笑いみたいになって、その時『この人だったら、面白いかも。』って感じでしたね。でもまぁ、入ったら入ったで厳しいですし、ボスに直接教わるわけでもないですから。でも、基本的に人の名前を憶えないボスが、僕のことはすごい覚えててくれたんですよね。僕が10期の生徒で、その後19期くらいまで続くんですけど、何百人何千人ていう生徒を抱えて、周りにもたくさんボスボスってそばにいる人がいるにも係らず、僕に会うとやべやべって声をかけていただいて、家に呼んでいただいたり、とにかく現場にもついてこいみたいな感じで。はっきり言って僕は小生意気で世間知らずでしたけど、たぶんボスにはそれが面白かったんでしょうね。何も持ってないままで、この世界でやってくんだって、何も知らないことを恥ずかしげもなく『わかりません、教えてください』っていう、そのまっすぐなところ、要はツッパってるとこがあったんで、それを見てくれてて、本気で怒られたこともありましたけど、ボスもそういう“わんぱく”なのが好きだったっていうのは、後から聞きましたけど。そういう意味でも、本当にたくさんのことを教えていただいたので、丹波道場を選んで、本当に良かったなって思います。

強き男とは?

説教おじさんとして(笑)

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僕が基本的にかっこいいと思うのは「ここ一番」って時にできる人。全然頼りにならなくてもいい、チャラチャラしててもヘラヘラしててもなんだっていいと思うんですよ、人の道に反してなければ。でも最終的に本当に困って頼られた時に、何か一つでもちゃんとできる、「ここ一番」て時だけでいいからできる人っていうのはものすごくかっこいいなって思うんですよね。たとえば簡単な話、電車でお年寄りの方に席を譲れるとか、路上喫煙とか間違ったことをちゃんと注意できるとか、これもある種の「ここ一番」だと思うんです。僕は渋谷界隈によくいるんですけど、センター街でもちょっと有名になってきてるんですよね。それは役者のやべじゃなくて“説教おじさん”として(笑)。ありがたいことに、歩いてると声をかけてくれる方もいて、集まってきてくれるのはいいんですけど、握手してくださいって出したその手にタバコ持ってたりしたら、普通に言いますね『おい、ここ吸っていい場所か、そこに喫煙所あるから捨ててこい』って。ただ、初めて来てそれを知らない人とか、見渡したらそこら中に吸殻が落ちてるのを見て吸ってもいいのかなって思ってる人もいるかもしれないんで、そういう人には教えてあげるし、その場ですいませんって言ってくれる人には自分の携帯灰皿出しますし。そういうことをちゃんと言える人は、かっこいいと思うし、そうありたいって思ってますね。そういうことを教えてくれる先輩が僕にはいたので、怒るとかじゃなくて、違うよ、それ全然かっこいいことじゃないよっていうのは言っていきたいなっていうのはすごくありますね。

あとは、しんどい時や苦しい時に笑顔でいられる人、本当は自分は悪くないって思ってても頭を下げられる人は強い人だなって思う。昔は喧嘩に強くなりたくて格闘技やったりもしましたけど、ジムに行ってみたら僕よりも全然ひょろひょろの人が、サンドバックが返ってこないくらいバチバチやってて、その瞬間から俺より強いやつなんて世の中にはいっぱいいるんだなってことを思い知らされました。その時に、人の強さってなんだろうって考えた時に思ったのが、いつでも笑顔でいられる人かなって。飲食店とかの客商売でも、理不尽なクレームとかってあると思うんですけど、そういう時にもマニュアルだろうがなんだろうが、頭下げられる人って、僕はあの人すごいって思うんですよね。クレームつけた側はあっさり認められちゃって、逆に引っ込みがつかなくなっちゃったりしてることもよくあるなと思いますよ。僕もオラオラ言って、俺は喧嘩強ぇんだぞとか言ってた人間ですけど、そういうのは強いって言わないんだよってことを教えてくれた先輩や周りの人たちがいたので、できれば男の子たちにはそうあってほしいなと思いますね。

10代の頃に先輩たちに感じたものがこの世界にも

宇梶さん(本冊子Vol.1)も、何度もご一緒してますけど、いつも笑顔で、僕も含めた後輩たちの様子を気にかけてくれてました。それが嬉しかったし、自分もそうしたいと思いました。主役は偉そうに踏ん反り返ってるイメージでしたけど全然そうじゃなかった。Vシネマの現場ではお金も時間もない中でしんどい思いをしながらも、みんなで一つの作品を作りあげるんだって部分で、自分のことは自分でやるし、周りへの気遣いも忘れない。そこの“かっこよさ”ですよね。10代の頃に先輩たちに感じたものがこの世界にもあるんだと思いました。

すた丼でもガッツリ食って

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悔しいことがあったり、腹ペコだとイライラしたりもするんでね、そういう時は1人でもいいから、すた丼でもガッツリ食って、旨いもの食べれば至福になれますから、俺はこのあったかくて旨い飯が食えるじゃねぇか、悪いことしてつかまったりしたら、こんな旨いもんも食えなくなるぞ、と一時的な感情に任せず、そういうことも考えてほしいですね。僕の場合はワルの役が8割ですけど、それを反面教師にしてもらえたらいいかな。強い男っていうのはここ一番でキメて、ダメなことをダメと言えて、苦しいときこそ自分よりも周りを見て笑顔にさせる人だなと思います。

若者へのメッセージ

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いっぱい恥かいて、いっぱい悔しい思いをしてほしいなと思います。そういうのって本当に財産になると思う。どうあるべきかってことを考えて、その答えを見つけるのは難しいけど、それを教えてくれる人は実は周りにたくさんいるんで。若いから難しいし、若いからたくさんの答えが出せると思うし、生きてく中でそれは自然に明確になってくると思う。

メッセージ

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